白髪の生えた頭の中で

雑食系オタクの駄文箱。

【雑記】なぜ灯火の星の主人公はカービィなのかという話とかする(追記あり)

はじめに

サトレンコです。ちょうどいい機なので、しゃべりたいことをしゃべる記事を書こうと思います。対戦、よろしくお願いします。

 

じゃあ今回しゃべることはなんですか、っていうのは表題でわかってもらえると思うんですが、「なぜ灯火の星の主人公はカービィなのかという話」です。

またか!優遇!作品格差!なんて言われてるのをなんども見てきたので(まあこんなこと言ってる人もうほぼいないとは思うんだけど)ここで自分の中でまとめておくための記事です。もちろん自分の持論なので、反論とかは絶対出てくるし、「公式の人そこまで考えてないと思うよ」案件も発生すると思いますが、温かい目で読了していただけると嬉しいです。反論、待ってます。よろしくお願いします。

 

 注:サトレンコは「文脈」という概念をそこまでよくわかっていないので私の記事の中ではそういう概念はでてこない。

 

だいぶ旬を逃した話だとは思う。

 

追記(2020/05/04)

 

「桜井さん明言してたじゃん」

www.famitsu.com

 

......

はい。完全に失念してました。すみませんでした。

ということで、この記事は

一次ソースを記述しないうえにその内容からだいぶ離れた妄想を勝手に掲示する記事

です。以下、「こういう理由でカービィが選ばれてたらエモいよね」みたいなことを断定口調で言ってます。そういう記事だと思ってみていただけるととてもうれしいです。

(あれだったら記事ごと消します)

〇ゲーム的な理由の話(いらない)

当たり前だが、カービィが主人公になる(ここでは、主人公=最初のプレイアブルキャラとする)のにはきっちり理由がある。

 

ここから意味のない話

 

まず操作性。高機動・5段ジャンプはもちろんのこと、とりあえず敵の上まで移動してストーンというテンプレの動きができる。初心者に優しい。

スマブラというゲームにおいて復帰力は生き残る力に直結するので、カービィは適任といえる。そして「あっ、こうすれば勝てるじゃん」があるのもとんでもなく合致している。実際灯火の星の序盤はストーンだけでだいぶ勝てる。

 

ここまで意味のない話

なぜならこれは「ほかのキャラもっと初心者向けにすればいいじゃん」で全部崩れ去る話なのと、この話はこれまで何度もされてきてる話だからである。

では、この記事の本題に入る。

 

カービィは「善」であり「主人公」であるという話

なんで「星のカービィ」じゃなきゃいけないのかという話。

これは星のカービィシリーズの話をしないと納得してもらえないので、する。

 

星のカービィシリーズの中で、第一作から最新作まで絶対変わっていないことがある。

それがカービィが騒動の元凶を倒すのが最終目標」という構図。

例えば第一作なら、「国中の食糧を盗んだデデデ大王を倒して終わり」。

そのつぎ、夢の泉はちょっと複雑になるが、結局は「プププランドを脅かすナイトメアを倒して終わり」。

カービィシリーズは必ず勧善懲悪の物語で、しかも善はカービィで確定である。

 

ここで勘違いしてほしくないのは、カービィは自分の住むプププランドやポップスターを守るためにやってるとか、悪の思想を正しにいかなくてはならない正義感とかからやってるのではなくて「自分が困るから自分から解決しにいってる」のであること。

 

食糧なくなったら食べるもんなくなるじゃん!せや!元凶倒そう!

夢見れなくなったら寝れないじゃん!せや!元凶倒そう!!

 

こういう構図。

そしてカービィのすごいところは、「たとえ敵側にどんな事情があろうとも、たとえ相手がだれであろうとも、自分が必要だと思えばとにかくぶっ潰す」ところである。

これはWiiやロボボプラネット、ひいてはドロッチェ団をプレイした方ならわかっていただけるだろう。もっとも象徴的なのはドロッチェ団の出だし。

そらのくもが いねむりするほど
へいわな プププランドの ひるさがり
 
カービィのだいすきな
おやつのじかんがやってきました
 
きょうのおやつは ふんわりあまい
イチゴがのった ショートケーキ
 
さぁ いただきま・・・
 
サッ!!
 
あれれれ
まさに たべようとしていた
ケーキが きえてしまいました
 
だいじな だいじな あまい あまい
イチゴのショートケーキ・・・
 
きっと くいしんぼうの
デデデだいおうのしわざに
ちがいありません
 
だいじなケーキを とりもどすために
さあ しゅっぱつ!

 
こうして カービィ
あたらしい ぼうけんのたびが
まくをあけたのでした

(引用:ゲーム本編)

「きっと くいしんぼうの デデデ大王のしわざに ちがいありません」と思うが早いか、デデデ城に乗り込み何もしていないデデデ大王を討伐。こんな芸当ができるキャラはカービィぐらいしかいないだろう。

余談だが、このカービィの行動原理はWii以降のカービィ作品のストーリーをより深みのあるものにしているとわたしは思っている。これはつっこまれそうな部分。

 

この構造は、ほかのスマブラ参戦シリーズとはだいぶ違う。

例えばマリオシリーズだと、クッパを倒す理由が「ピーチを助けるため」であって、別にマリオ本人が困ってるわけではない。メトロイドシリーズだと、そもそもサムスは「メトロイドを倒せ」という命令のもと動いているので、自分から解決しにいってるわけではない。ということ。

その点、カービィは「自分に迷惑がかかりさえすれば」どんな奴でもボコしに行く。それが親友や知り合いでもそう。逆に自分に損がなければたぶん何もしない。(この辺は解釈分かれるかもしれない)

 

カービィシリーズの特徴は、「本編でも外伝でも絶対こう」なことである。

シリーズの本筋でも、関係ない外伝でも、「悪を倒す善はカービィである」ことは絶対変わらない。絶対。

そしてカービィは必ず助ける者でなくてはならないので、「誰かがカービィを救う」描写はほぼ存在しない。

カービィが敵になってはならないし、カービィは助けられてはならない」のだ。だってカービィは絶対的な善だから。

例をあげれば、カービィシリーズには「メタナイトでゴー!」「デデデでゴー!」というモードがあり、このモードではメタナイト・デデデを操作して敵を倒すのだが、公式で「パラレルワールドである」と明記されている。カービィのいない世界の話なのだ。

もうだいぶわかってきていただけただろうと思うので結論を言うと、

カービィは絶対に助ける側、主人公でなくてはならないので、灯火の星のシステム上、カービィは最初の主人公でなくてはならない

ということである。

ほかのキャラにカービィを救わせることは絶対にあってはならないのだ。

それほどまでに、カービィ=絶対善・ヒーローということがカービィシリーズでしっかりと描かれているのである。

 

ちなみに、ほかのキャラはたいてい一回は救われている。(マリオはルイージマンションで、ドンキーはスーパードンキーコング2で)

 

〇ちょっと脱線 亜空の使者の話

 という視点で今までのカービィシリーズスマブラシリーズを見たときに、亜空の使者すご!!!!!!」ってなる。

亜空の使者で、マリオは「ピーチを救うために」、リンクは「ゼルダを救うために」、そしてカービィは「なんかされたら困るから止めに」冒険を始める。たくさんキャラクターがいるのを、全員それぞれの作品通りの動機で戦いに参戦させて、ストーリーの中でそれぞれのキャラをきっちり立たせて胸熱シーンをつくる。あのロボットでさえも!

この時点でだいぶすごいのに、本当にすごいのは全員のいいところを見せてからタブーに全員倒させるところ。そのうえで、カービィを復活させるところ。

だってあそこから実質灯火の星だぞ!?!?みんながそれぞれのいいところ見せて!知らないキャラにも愛着持たせて!そこから絶望的な状況にして!そしてカービィに救わせる!!!!カービィは主人公だから!!!!!えっすごくない!?!?!?

その他いろいろ話せることはあるんだけどいっかいここでおわり。テンションもどします。

カービィ=プレイヤーではないという話

もう一つ、「なぜカービィでなくてはならないのか」の理由がある。

それがこの、カービィはプレイヤーではない」という点だ。

「えっ プレイヤーだろ」と思われた方もいるかもしれないが、実はこれはカービィシリーズ内で完全に否定されている。カービィはプレイヤーではない。

 

「スーパーデラックス」の最初の操作説明シーンで、ナレーションが「あなたのそうさする」って言っちゃってたり、「なやみのないヤツです」と言ってカービィがむっとした表情になる描写があったり、カービィの見た目を変更するコマンドが一つもないこと、そもそもゲーム内でこちらから何かの名前を設定するタイミングがほぼ存在しないことなどがあげられる。

極めつけが、タッチ!カービィ」である。カービィがボールの姿になってしまいました!なのであなたの描く線で導いてあげてください!」というゲームシステムにしてしまったのだ。これは本当にすごい。これが出るまでの時点でカービィとプレイヤーを別のものとして丁寧に描いておかないとできない芸当だ。

マリオシリーズゼルダシリーズは(人によるとは思うが)比較的マリオ・リンクとプレイヤーの境界がない。マリオに関してはオデッセイで着せ替え要素なりなんなりを実装したところですこしプレイヤーに近づいてきたともいえる。ほかのシリーズのヒーロー格も、わりとそういう傾向にある。

というかほかのシリーズでは主人公≠プレイヤーというのをあんまり書かない(私の知っている限り)

 

さて、灯火の星の話に戻る。

主人公にカービィが適任な理由として「プレイヤーとイコールでない」ということを挙げた。ではなぜプレイヤーとイコールでないことが主人公の理由となるのか?

ここからはスマブラ世界の話になる。

スマブラ世界は「この世界」と呼ばれており、それを作りだしたのはマスターハンドであることは有名だ。スマブラ世界内に、私たちが干渉できる事柄はない。

これだけでだいぶ説明終わり感もあるが、つまりは「この世界が現実と結びつきすぎてはならない」のである。

キーラによるスピリッツ化という「この世界」の最大の危機を救うのは、「この世界」の住民でなくてはならず、私たちプレイヤーであってはならないのだ。

 だから主人公はカービィでなくてはならない。今まで、「プレイヤーではない」ということがこれほどまでに丁寧に描かれていたカービィでないかぎり、プレイヤーは主人公に自分を重ね合わせ、「この世界」を救っている気になってしまうかもしれないから。「この世界」の「ヒーロー」は私たちではなく、カービィなのだ。

 

まとめ

ということで、表題の結論は

カービィは主人公でなくてはならない存在であるから

カービィはほかのだれかに救われてはならない存在であるから

・「この世界」を救うのはプレイヤーと切り離されたキャラでなくてはならないから

である。終わり。

 

 

言いたいこと書いたので記事を〆させていただきます。カービィシリーズの話に持ってこうと思ってたのに気づいたらスマブラ世界の話になってた。

好評ならこんどちゃんとカービィシリーズのここヤバいポイント話したいですね。

特にメタ逆とかマホロアの話、スターアライズの話。

スターアライズの話はほかの話全部してしまってからのほうがいいとは思うけど。

 

それでは!

 

 

おまけ

 

記事読み返してる私「トリプルデラックスの最後一瞬カービィ助けられる側じゃん」

「あ????????????」

 

冷静な私「あれは手助けだからノーカン」

私「わかる」